20.9世紀少年

花束を君に

お爺ちゃんとお婆ちゃんのこと

眠れない

 


眠れないから椅子に座ってまた呆けていた

 


今使っているこの部屋は元々は祖父と祖母が使っていたものだ

 


二人が亡くなられた後、ほとんど使われないまま年月が過ぎ、紆余曲折あって自分の居住エリアになった

 


普段は本当にほとんど二人のことを思い出すことはないんだけれど、眠れないせいか存命の頃のこの部屋での思い出に浸ってしまった

 


お爺ちゃんは赤いちゃぶ台の上座に座って、新聞を口に出して読んだかと思うと、「ほう・・」と窓の外をぼんやり眺めている。 

いつもそんな風にしてゆったり過ごすような人だった。

 


お婆ちゃんはというと、下座に座っている間は本当に何もしない。

ただ茶だけススっているような、本当に何を考えているのかわからない人だった。

 


いや、幼い頃の自分が老人の考えを察するだなんて出来っこなかったからなのかもしれないが。

 


この部屋で二人がすることといえば、本当に茶を沸かし、夜になれば雨戸を閉めて眠る。

そればかり。

幼い自分は、それでよく退屈しないものだと疑問に思うばかりだった。

 


そんな毎日は、祖母がアルツハイマーを患ったことで少しずつおかしくなっていった。

畳の縫い目がパリパリと剥がれて、しまいにはスッカリハゲ上がってしまうように少しずつ、お婆ちゃんは何も分からなくなっていった。

亡くなる頃には、自分の息子の名前を思い出せなくなっていた。

お婆ちゃんは母と仲が悪かった。

嫁姑というやつだった。

聞いた話だと、俺が生まれてもお婆ちゃんは抱っこできなかったらしい。

それくらい仲が悪かったから。

 

お婆ちゃんは偏屈な人だった。

それと字が読めなかった。

だからなのか、思っていることを言葉にすることが滅多になく、突然怒り出すような人だった。

 

字が書けないから偏屈になったのか、

偏屈と文盲がより深い問題から起きていたのか分からない。

 

結局、お婆ちゃん自身も自分の事がわからなくなってしまい、

俺がお婆ちゃんを理解するチャンスは永遠に失われてしまった。

 

 

 

 

 

そして、この部屋にはお爺ちゃん一人になった。

 


お爺ちゃんはそれからも、新聞を読み、窓を眺めて過ごした。

こうして4年が経った頃、お爺ちゃんは自転車から転び、寝たきりになってしまった。

寝たきりになると今度は血流が悪くなってしまうのか、右足が弱って動かなくなり、立ち上がることは叶わなくなってしまった。

 


俺はこの部屋の上、つまり2階で生活していただけれど、この頃のお爺ちゃんはもう膀胱も弱っていて、しばしばお漏らしをしてしまう。

気がついたら下に降りていく。

 


問題は夜だった。

寝静まったあとに、お爺ちゃんが声を上げる。 「すまん。きてくれ」

父と母、兄はぐっすり眠っている

眠りが浅いのか、不思議と気がつくのはいつも俺だった。

 


お爺ちゃんの動かない脚を持ち上げて、湿ったオムツを剥がして捨てると

「すまんな。ありがとな。 あとは自分でやる」と

俺を返そうとする

 


俺はクソガキだった。 正直ウンザリしていた。 

何を思ったのか分からないけど、一人眠るお爺ちゃんに「何か」をたずねた。

どんな言葉を使ったのかはわかない。

介護ベッドは背が高く、蛍光灯に手が届くほどで、まるで手術台のようだった。

あの眩しい光の円から、孫が何かを問うてくる。 どんな気持ちだったんだろう。

 


けれど、その返事だけはハッキリと覚えている

 


「早く死にたい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺は、たまにそれを思い出す。

当時の俺には、何を考えているのか分からなかったお爺ちゃんが「生きてて楽しい」わけがないと思っていたのかもしれない。

 


でも、

今思うと、

寝たきりになるまでは、俺が2階からこの部屋に降りてきて、お爺ちゃんの横で一緒にボンヤリしていただけで、十分楽しかったんじゃなかったのかなって。 

幼い孫の吐息とか、所作だとか、それをひっくるめてこの部屋の空気を楽しんでいたんじゃないか。

 


寝たきりになってからは、ボンヤリしようにも介護ベッドが部屋を埋め、横で誰かが座るような場所なんてなかった。

 


寂しかったと思う。 

これじゃ窓なんて見えないし、天井と蛍光灯しか見ることができない。

そして、一人横たわるだけだったのだから。

さらに、俺は反抗期に入ったクソガキだった。 

それでも、2階に住人を呼んで降りてきたのはいつも俺。

お爺ちゃんには嬉しかったのかもしれない。

 


けど、俺が嫌々ズボンを脱がすのを見て、嬉しいと思うはずはない。

逆の立場だったら、俺は申し訳ない気持ちでいっぱいになるはずだろう。

悪いことに逆の立場を考える力なんて、当時の俺は持ち合わせていなかった。

そしてお爺ちゃんに、俺はなんて言ったんだろう。 

なぜか思い出せない。

あの夜を思い出すときはいつも「早く死にたい」というしゃがれた声ばかり頭に蘇る。

 

 

 

 


その年の初夏、お爺ちゃんは亡くなった。

 


老衰だった。

 

 

 

それから、もうじき10年が経とうとしている。

なんて言葉を、墓前で告げればいいのか。

こんなことを考えて、余計に眠れなくなっている。

 


もしかしたら、あの夜もこうして悩んで眠れなかったのかもしれない。

そして、お爺ちゃんの声に気がついた。 

そこでもお爺ちゃんとどう向き合えばいいのかと考えていたのかもしれない。

何も分からないままお婆ちゃんが亡くなって、それが嫌で何かを必死で尋ねようとしたのかもしれない。


でも、俺はなんて尋ねたんだろう。

思い出せない。

「早く死にたい」と言わせる言葉は何だったのか

そんなお爺ちゃんに、俺はなんて切り返せばよかったのか、それすらも未だ分かっていないのだ。


俺はクソガキだったけれど、今もクソガキなのかもしれない。

何も変わっていないのかもしれない。

俺はお爺ちゃんが好きだったってことも、今でも変わらない。


だから、「申し訳ない」という気持ちでいっぱいになっている。

 

寝ます。