20.9世紀少年

花束を君に

専門知識が欲しい

頭すげぇぼーっとしてるから、後で読み返したらものすごく支離滅裂な文章になっているかもしれない、っていう予防線を引いとくわ

 

「俺が学生できるんだったらもう一度勉強し直したいもん」

 

こんなセリフ大の大人から腐る程聞いたことがあったけれど、今の俺がまさにそれ

 

もう一度、高校とかやり直せるんだったら勉強し直したいなってすげぇ思ってる

 

歴史の教科書とか、地理の教科書とか読み返した時に感じる「やり直しテェな」って感情はまさしくにそれで

いろんなところを旅行してみたりしてしるその土地の歴史だとか、「誰があんなもん読むんだよ」っていうような立て看板を食い入るように読み出すおっさんいるじゃない

それもまさしく今の俺で

 

知識とか知恵ってのは、やっぱり持っていると楽しいもんじゃないですか

それを、なんで20、30、40になって気がつかなければいけないのよっていうね

色々と悔しいですよねぇ

 

でもさ、見落としてはいけないことってのは「じゃあ、なぜ当時勉強しなかったんだ?」ってことだと思うのよ

もっと言えば、「んなこと言ってないで今できる勉強すればいいじゃない」って

 

だから、「勉強したいな」って感情にはもっと掘り下げて理解しなくちゃいけない罠があるんじゃねぇかって

 

幼児期から始まる脳の成長ってのは、ほとんどの領域では早くに成熟するんだけど、前頭葉の発達はというと20代中頃まで続くらしいんですね

 

俺が思うに、「昔もっと勉強しときゃ良かった派」ってのは、未熟な頭のまんま毎日机に座らせられていた連中なんじゃないかって、思う

 

知的好奇心ってのは、「疑問と解決」のサイクルが回ることだと思うんだけど、こういった理性的な快楽を好物とするのは前頭前野らしいのよ

あいつら東大王とか大好きだからな

どんなに疲れてドロッドロに頭溶けてても、クソみたいな「超難問」ふっかけられると速攻で「おっしゃ当てたるでッ!」ってイキリ出すから

 

で、ある程度理性の働く大人になってくると、勉強して何か覚えたりする楽しみっていうのを強く痛感するようになる

 

はたまた、ちゃんと勉強してきたやつが百戦錬磨の知識をいとも簡単そうに披露するのを横目に見て、「なんだか俺にもできそうじゃないか」と思い至るわけよ

フェイクだよな、あれ

結局やらないんだもん

頭が成熟しようが、それを回す頭の使いかたってのを知らないと、すぐに止まっちゃうから 

 

ぶっちゃけ、そんなクソみたいなモチベーションで学生生活やり直そうが大した違いはないと思うんですね

 

だから。「なんか毎日やっちゃうんだよなぁ」っていう分野を見つけでもしないと、学校に入っても仕方がない気がするわけで 

 

そこが難問中の難問で

これこそ、人間の素質も大きく関わってくるエンジンみたいなものだしさ

「揺るがないだろうな」っていう自信を持てるような分野を見つけないとねぇ

んでもって、コンスタントに勉強し続けられる体調とか頭の成長とかにも自信を持っていないと、学校に入り直すだなんて怖くてできないじゃない?(金銭的な不安もあるけど)

 

だから、この度に俺が口にしだした「学校に行きたい」っていう感情は、そういう分野を自分の中から一応は見つけられているつもりだからこそ湧いてくるものだと信じたいです

体調の面でも好天の兆しを見せているし、いけると思うんです

 

ということで、何を学びたいかっていうと人文科学(認識に関わるあれこれ)とか空間デザインみたいなのを学びたいなって

 

この興味って今後の人生でもさほど揺らぎはないんじゃないかなぁって思う