20.9世紀少年

花束を君に

POP

書くことの境界線をどこに引くべきなのか?ってことに悩んでる

 

最近知ったことなんだけれども、普通は他人のギットギトの悩みなんざ聞きたがらないってことなんですよね

 

「じゃあお前は人の悩みを好き好んで聴くのか?」というと、確かに・・・そうじゃないなぁって黙ってしまう

 

気がついたきっかけってのが、ふとしたきっかけで読み返した自分の日記があまりにもメンヘラだったからで、自分が産み落とした死海文書にドン引きしたあの衝撃ったら凄まじかった

 

「うっわ・・・ 絶対こいつにお近づきになりたくない・・・」って自分に対して感じてしまったのは、かなーりキツイ

 

こういう角度を変えて自分を見返したらすげぇ痛々しいっていう体験はさ、思春期の時期に幾たびに経験していなきゃいけないんことなんだろうけれど

それが、ここ一年でドッカァンと降ってきて、これはこれでキツイっていう

 

とかいいつつ、現在進行形で「新たな死海文書」をこうして生み出しているんだろうなってのはうすうす感じてはいるんだけども

 

また、これとは別に疑問に思ったのが

「周知の人に心の闇を吐露しないのか?」ってこと

 

思えば、今まで人の闇を真っ正面から聞いたことがない

俺はゲロりまくってるんだけど、人からはゲロってもらったことない

 

ただ単純に、周りの人がメチャクチャ大人だったってだけなのかもしれないんだけれども、

それ以上に俺が「ウゲェェ聞いてクレェよ〜麦わらぁ・・・」みたいに鼻水垂らして近寄ってくるから

「いや、こいつには話せないわ」

って引かれているだけなんじゃないか、と思う

絶対そうだと思う

 

で、こういう言えること言えないことの線引きに意識的になりすぎると、極端に何も言えなくなっちゃうし、でも突っかかりは吐き出したい・・・っていう葛藤の狭間でたどり着いた答えってのが

 

POPであれ

 

POPってのは、この欲求と抑制がギャリギャリギャリっとせめぎ合って、艱難辛苦の果てにたどり着くグラウンドゼロだったんや!!と

POPの真理にたどり着いたような気がするような?気がしないような?

「何言ってんだこいつ」と言われている脇で、俺は天から降り注ぐ光に拝み倒しているわけよ

いささか論理に飛躍があるんだけれど、なんでこういう考えに至ったのか覚えてない

多分酒に酔ってたんだと思う

 

というわけで、常日頃POPでありたいなって思ってて、でもPOPの具体例が掴めそうで掴めないもどかしさも感じてて

そもそも飲み会で菩薩顏さらして虚空を見つめている時点でPOPもクソもねぇんだけど

そういう失敗も含めてどうにかPOPになりたい

わたしなりたいの!

 

最近は本当に「POP・・・POP・・・」って虚ろな目をして街をさまよっているんだけど

自販機の下とか、どっかに落ちてねぇかなぁPOP・・・